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シリーズ 福祉に生きる 57 『近藤 益雄』 清水 寛著 大空社  熊谷 富代子

「失われた風景 -日系カナダ漁民の記録から」  熊谷 富代子

「日本の名詩、英語でおどる」を読む  渡部 やす子


シリーズ 福祉に生きる 57  『近藤 益雄』   清水 寛著  大空社  熊谷 富代子

近藤益雄は、1907年、長崎県に生まれ。1964年5月に亡くなった。

「人間の値打ちを、ほんとうに平等に大切にする世の中」でなされるべき教育の姿を求め、20才での尋常高等小学校の代用教員を振り出しに、戦前、戦後の長崎の各地で教育一筋に生き抜いた一人の教師、近藤益雄。本書はその生涯と仕事について書かれた著作。

私自身は、今回、みやぎ教育文化研究センターで「近藤益雄」についての講演会が開催されるのをきっかけに本書を読み、初めて近藤益雄について詳しく知った。

著者は、「詩人教師 近藤益雄の生涯とその実践・思想」を明らかにしていくという課題に長年取り組んできた障害児教育の研究者であり、本書は、障害児教育に限らず教育の営みというものが、「何をこそ目指すべきなのか」、人間にとって何が本当に大切なのかを、近藤益雄の生涯の仕事を通して語りかけてくる本である。

大学3年生の時に一冊の本を手に見ず知らずの近藤益雄を訪ねた著者。温かい心づかいと語らいを心に刻んだ4年後、一通の手紙を受け取った。その手紙を残して、近藤益雄は他界。著者は深い悲しみの中で、近藤益雄研究を生涯の仕事とする決意をする。20代のただ一度の出会いが一生の課題となったのである。

綴り方教師としての近藤益雄は、子どもの心・暮らしに寄り添い、才能を目覚めさせ、自分や自分につながる事柄の事実をしっかり見つめるまなざしと表現する力を子どもたちに獲得させていった。文中に紹介されている子どもたちの文の素晴らしさも近藤益雄の仕事を語っている。自らも、日々の子どもの姿、自分の仕事の記録を詩の形で多く残している。「障害児学級」を新設するために校長を辞し、自らその学級の担任となり、子どもたちの可能性を切り開いていった。その考えは次の一文(本文より抜粋)にも示されている。

「心の底深く眠っている生活のよろこびも悲しみも、私たちのふかく掘りさげる手によってつかみ出してやれるにちがいない。(略)綴り方以前の仕事がある。かく力をそだてるために、私たちは子どもの生活力を育ててやらなくてはならない。みる力、話す力、きく力、考える力、などから、生活力がすこしずつ、きずきあげられる。(略)綴り方だけのでなくことではなく教育全般にわたっての、ふかく、こまやかな手段をつくさなくてはならない。」

近藤益雄は、57歳で亡くなるまで、障害児と日常を共にする寮を作り、生活を共にすることで教育の可能性を追求し続けた。自己の願う教育の実現のために、自分にできること、自分に考えられる限りの仕事をやり遂げた教育の先輩。その人の仕事は、私たちの仕事の今に生きていると感じた。

子どもたちも教師も、なにを目指しどこに向かうのかも定かに見えない方針に揺さぶられ、大切な今を、行き暮れているような現在の学校を思うと、「本当の教育とは」を問い、追究し続け、「子どもと生きる」を貫いたひとりの先輩教師、近藤益雄の仕事と生涯は、教師として、人間としての生き方とともに、教育の仕事の意味を深く考えさせてくれた。

偶然に読んだ本だが、同じ仕事に携わってきた者として、自分の仕事を省みる時間が、この本を読む時間と共存してあった。読みながら、自分の終わってしまった仕事を考えていた。益雄が指導した子どもたちの作品は、自分が子どもたちに育て得なかったのは何かを考えさせた。この本と出会い、自分の中にも何か新しいものが加えられたような気がしている。今現在、厳しい現場で、骨身を削って頑張っている先生方にも是非読んで欲しい一冊である。きっと励まされると思う。

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「失われた風景 -日系カナダ漁民の記録から」  熊谷 富代子

故郷に錦を飾ることを夢みて海を渡った83名(女性3人)の人々の、それぞれの人生を追いながら、差別と闘いつつカナダ社会に漁民として生きる権利をかちとっていった二世たちの姿と心を描いた、宗教学者による異色のドキュメント。

明治の終わりころ、宮城県北の小さな村の男たちが、カナダに密航。乗った船は水安丸。何が彼らを密航させたのか。

著者の山形氏は、宮城県東和町のその昔隠れキリシタンであったという農家を訪ね歩いた調査の過程で、巨大な1本の鋸に出会った。密航者が、カナダから持ち帰ったものだという。以来35年間、密航に関わった人々を探し訪ね、話を聞き、資料で事実を確認しという作業を続け、1996年、本書を発刊した。35年にわたる取材という事実にまず驚いた。

甚三郎を中心に展開される物語が伝える、東北の農民たちが時代の波にのみこまれていった姿は痛々しいが、筆者はその人々をあたたかく見つめている。登場する人々一人一人の姿が目に見えるようだ。

幕末から明治へ。東北の山峡の村にも貨幣経済の波が押し寄せ、時代の激動の波は農民たちの暮らしをも破壊していった。密航の背後にある、戦争、不況、凶作、移民排斥運動。

日雇労働者の日当が平均25銭から30銭の相場の時代に、一人百円の密航費用を無理やり工面し海に乗り出した村人たちの止むにやまれぬ思い。東北の小さな村の人々をそこまで追い込んだものへの怒りが行間からにじみ出る。

著者を訪ねてきた、カナダ人留学生がいた。祖父が和歌山出身のカナダ移民。彼と著者との会話も大変興味深い。著者は、「風景が壊れると、人の心も壊れる」ということを、カナダ青年に伝えたかったと書いている。現代の農村における深刻な花嫁不足は、「言ってみれば、ぎりぎりの生命維持装置の破綻を意味しているだろう」とも。その通りだと私も思った。

戦後、美しい農村の風景・豊かな自然を築いてきた日本の農業は大きな経済の嵐に襲われ続けてきた。「失われた風景」の物語は単なる過去の出来事ではない。日本の農村の風景が今以上に失われてしまうとき、私たちは何を得ることになるのだろうか。未来に向けて何をしたらよいのかをこの本から読みとりたい。

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「日本の名詩、英語でおどる」を読む  渡部 やす子

昨年教育文化センター主催アーサー・ビナード講演会に参加し、詩というものに新しく目を開かされた。講演後、彼の著書を数冊求めたが、特に表題の詩集に思わぬ楽しみを発見した。

その本は、日本の詩人たちの詩がおのおの二、三編ずつ日本語と英語で書かれている。英詩を読むなど初めてのことであるが、怪しげな英語力でも目で追っていると、それまで味わったことのない不思議な感動を覚えた。与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」は、少し声に出して読んでみたところ胸がいっぱいになった。詩人の痛切な思いが改めて迫ってきたのである。

やがて、意味や読み方の分からない単語を調べてみようという気になり、埃をかぶっていた英和辞典の登場となった。そうそう、英語も長い間書いたことがなかったと思い、頭の体操をかねて、英文をノートに写し、発音や意味を書き込んでみた。まるで高校時代に戻ったようだと思いながら。単語や文の意味が大方分かったところで全体を音読するのがまた面白い。吟遊詩人にでもなった気分だが、人には絶対見せられない場面である。

英詩を訳すうち、つまり和訳するうちに、自分でも詩を英訳してみようという気になった。今度は和英辞典の活躍である。カタカナながら、ここでの発見を一つ二つ伝えたい。「智恵子抄」の「あどけない話」では、「話」を私は迷わず「ストーリー」としたが、ビナードさんは「カンバーセイション」だった。なるほど、この詩は智恵子と光太郎のやりとりであり、光太郎が相手であればこそ智恵子が発したことばなのだ。題名からビナードさんにはかなわない。「ほんとうの空」の「ほんとう」の訳では「リアル」と「トゥルー」の違いが辞書に載っていた。それによると、「リアルティーチャーは職業上の教師」「トゥルーティーチャーは先生とよばれるにふさわしい教師」とあった。なんとも明快でシビア。

国語辞典同様、英和・和英辞典も複数あったほうがいいことが分かり、私の怪しい和訳と英訳は今も続いている。ビナードさんのおかげで、日本語の美しさや漢語の面白さも少し分かり、今は「新・水滸伝」(吉川英治)を読んでいる。

さて、他県に住む友人が、これまたビナードさんのファンで、彼の出演するラジオ番組(残念ながら宮城では聴けない)の情報や記事を時々送ってくれる。つい最近届いたコピーの中に、詩を英訳する上での彼の姿勢なるものが、図らずも記されていた。「そのこころは?」と題する文の一部を紹介する。

日本語を英訳していて、原文に「心」か「こころ」か「ココロ」が出てくれば、さて、これは実際どういうシロモノかと、一旦停止して探らなければならない。感情的な心か、それとも知的な心か、または意思の強い心を指しているのか、そのケースバイケースの具合によって英訳が大きく違ってくる。(略)反対に英語を和訳する場合でも、原文に heart か mind か soul が横たわっていたら、はた feeling や thought や will が顔出ししようものなら、その現場検証をおこなって日本語の「心」につながるものかどうか確かめる。

すばらしい英詩は、ビナードさんの碧眼と努力の賜物であったのだ。

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